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零下45度・摂氏 ページ2    その8

「本部」の話が出ましたので、一言これについてご説明いたします。ちょくちょくこの言葉がでますから。
エラブガ収容所は、前に申し述べたとおりA、B二つのラーゲリがありました。小さい方がA,大きい方がBラーゲリとよばれました。これらは、先に入所したドイツ軍将校たちが付けたものでしょう。確認したわけではありませんが。

ドイツ人はドイツ語の発音で、それぞれをアー、ベーと呼んだに違いありません。
我々は、同じ文字をエイ、ビーと英語流に発音しました。

聞くとも無しに彼らのドイツ語を聞いて、私は、ダンケ、シェーン(有り難う)、グーテン、モールゲン(お早う)、アウフヴィータゼーエン(さようなら)、ノッホ、アインマル(もう一度)などのドイツ語を自然に覚えました。

それに、彼らが英語を流暢に話すのを聞いて驚きました。帰国後NHKラジオを聞いてドイツ語を独学してみました。最初、昭和20年代はまだテレビなどはありませんでした。

その時知ったことですが、500年ほど前は、独、英の区別はなく同じような言葉だったということがわかり「そうだったのか」、「道理で彼らがうまく英語を話すんだ」と、納得いたしました。

ドイツ語にカプートという言葉があります。kaputtと書きます。
「壊れた、故障した、だめになった、くたくたになった」などの意味がある形容詞ですが、これをドイツ人、果てはロシア人もよくつかいました。

ドイツ語ということはすぐ判りましたが、勝った国の人々がこのkaputtという言葉だけをロシア語の会話に使うことが奇妙でした。
でも、似たような現象がわれわれにもありました。日中戦争が始まった頃、我々日本人の間に、戦地ではなくて日本国内の我々の間に「メイファーヅ」という中国語がさかんに使われました。「没法子」・しかたがないすべがない、手がない、などの意があります。

その9

さて本部ですが、収容された人たちが規律正しい生活を送るため、この団体には指導者が必要でした。めいめいが好き勝手なことをしても困ります。また、この団体を支配するためにも収容する側、ここではロシアとしても、まとめて指令を与える代表が入所者側にも必要でした。

そこで、旧日本軍が敗戦後、遠くロシア・エラブガの彼方まで連れて行かれた時、この団体の代表には階級が一番上の将校が就きました。下は少尉(現自衛隊3尉)から上は大佐(現・一佐)までの団体に、大佐が代表に就任いたしました。

軍隊の機構が破れたとはいえ、まさか、ここで大尉(1尉)が代表につくわけにもいかないでしょう。それに歳もかなり違うからです。終戦後まだ5〜6ヶ月がすぎただけでしたから。
そこで、大佐を長とする我が方の「本部」が収容所の中に出来ました。

本部要員は、いずれ劣らぬ次のような優秀な面々。
大口駿一中尉・元農林事務次官・元日本水産社長、
相沢英之主計中尉・元大蔵事務次官・元経企庁長官は共に25〜6歳。
大口中尉は物静かな方。
相沢中尉はドイツ軍かどこかの迷彩軍服を着て、糧秣係先輩のドイツ軍将校と並んで歩き、ドイツ語で流暢に会話していました。
私はもっぱら出先の収容所に派遣される口でした。


その10

エラブガにあったBラーゲリは、もと商館だったといわれた。本部の方から流れてきた情報だろう。
正門をはいって、たしか右手に、白壁のビルがあった。

今からざっと40年前、即ち私が40歳頃までは、想い出すと、このBラーゲリの全容、元商館のビル、たしか3階だったろうか、その中の模様等は、パノラマのようにまぶたに浮かんできた。
今ではそれらは遙か彼方に忘れ去られたものとなった。

想い出すものとしては、商館の中にはいると、正面にペーチカがあった、冬の寒い夜にマージャンをしていると、見回りのロシア軍将校がそれを見つけ、有無を言わさず、マージャン・パイをひとさらいすると、真っ赤に燃え立っているペーチカの中にほうり込んだこと、そのパイは腕の立つどなたかが、白樺の木で丹念に仕上げたものだったのに。

配給の砂糖や黒パンをかけた。かなりエキサイティングな勝負になった。そんなことしか頭の中に残っていない。

このビルの窓は二重になっていた。窓と窓の間は50cmぐらいはあった。したがって、此の窓枠を支えているビルの外壁は厚さが約1mぐらいはあった。

その11

この地で最も寒かったのは、零下45℃であった・
私どもの手元に寒暖計といったような便利なものはなかった。多分、毎朝本部の方から連絡を受けていたものだろう。

ペーチカで暖められた部屋の中から、零下45℃の屋外に出ると、一瞬気圧が違うような気がして、息苦しいような感じがした。

零下20℃〜25℃の時は「今日は温かいねえ」とお互いに言い合ったものだった。

その時、たしか零下25℃より気温が低くなったら、屋外作業は中止だった。

私が、我が国で体験した最低気温は、群馬県館林飛行場での真冬、零下5度。赤城山から吹き下ろす「赤城おろし」に吹きさらされても体感温度零下15℃といわれたものだった。


その12

1946年・昭和21年、/1947年・昭和22年、/1948年・昭和23年/の3回、私はロシアの厳寒を経験した。
旅行などで、通り過ぎるのとは違って、そこに住み着いていたから、かなり綿密に観察した。

少々クサイお話になるが、このシリーズの冒頭に述べたように、「人」ならどなたにも決まって現れる生理現象。
特に、この度は他人から聞いたものではなくて、私が身を持って体験、観察をしたものである。

まずは「小便」について。
どこに行っても、男子用の小便所は同じようなものだろう。世界中歩き回ったわけではないが、1994年・平成6年米国の首都ワシントンを訪れた。家内同伴。ニューヨーク市にも行った。男子用はほとんど構造は似たようなもの。

都会の小便所は、一人一人便器がついている。そのような所では隣との境目にちょっとしたコンクリートの低い壁がある。ロシアの捕虜収容所には、そのような便器や境は何もない。ただ並び立ってするだけ。足許から40〜50cmの底に向かって出すだけ。

あるとき、私は自分の出す小便を子細に観察した。窓ガラスもそうだったが、どうしてこんなに丁寧・じっくりと観察したのだろうか。私が若かったから?他に何もすることがなかったから?性格?

零下45℃だった。私の身体から小便が放物線を描いて出ていった。40〜50cmの底までは液体、底に当たって跳ね返る、その瞬間そのはねは丸い数個の粒粒となって氷の丸い玉になっている。直径3〜4mm。

小便所はかすかにアンモニアの匂いがするが、ひどいものではない。悪臭は腐敗するから出てくるもので、一瞬のうちに冷凍されるわけだから、そんなものはほとんど無い。次は大便に就いて。

その13・最終

大便所に入ると、がらんとした部屋の窓側に沿って通路がある。その左側に高さ50cmほどのコンクリートで固められた台状のものがある、横幅5〜6mだったろうか。その台の上に厚さ3cmほどの1枚の板が置かれている。
適当の間隔をおいて、その板に30か35cmの丸い穴が空いている。この穴の上にズボンを降ろして腰掛ける。両足は通路の上におかれている。

この穴は、両隣に座った時、それぞれの袖がふれあわぬ程度に開けられている。穴の下は深さ3mほどの深さがあって、底はコンクリートで塗られている。

この穴に腰を降ろして用を足す。勿論各人の境目も扉もない。その建物の屋根が頭の上にあるだけ。
初めのうち、我々はそのすっぽんぽんの便所にいささか驚いたが、総て男性、すぐに慣れた。まさに「はだか」の付き合い。

中国戦線から移動して満州・現中国東北地方でロシア軍に捕まった人の話によると、中国にもこのような便所があった、という。
陸続きの国どうしだから似ているのか、と私は思ったものだ。

その穴の上に腰を下ろして用を足す。穴の下を見ると、大便が次々に盛り上がってiいる。運悪く前の人が用を足した後が、穴のすぐ下になっていることがある。
先端が、槍のように尖っている、もう数cmしたらこちらのお尻に突き刺さりそうになっている。排便後、直ちに凍結するからだ。
そんなときのために、手元に鉄棒が置かれている。それを手にして、その槍の穂先をコンとたたく、ポロリと穂先が折れて下に落ちる、後は何事も無かったように用を足す。万事終了。小便の時と同じように、零下45℃では、便の臭気はほとんど無い。直ちに冷凍されるからだ。

補足1へ

田部さんはこの記録を2月10日〜2月23日まで13回に分けて、送信されました、その時々の様子がメールにかいま見れるので、ここに抜書きしておきます。今年、79歳の誕生日を迎えられた田部さんがこれからもますますお元気でありますように・・・(hiroko)

2/10 帯状疱疹は未だ完治していません。
真冬がやってきて、このテーマについて、ぜひとも書き残して置かなければ、と力を出している所です。

テーマの名前は、本当は「零下45度・摂氏下の大・小便事情」としたかったのですが、ちょっと長いし、また少し「クサく」て、いきなりは少々げれつなので、このようにしています。

2/12 原稿なしで、いきなり文字を打ちこんでいます。
長くなると、私の方で間違いが多くなるので短くしています。

2/17 20歳で、飛行機に爆弾を積んで、アメリカかロシアの軍艦目がけて突進するはずが、運良く停戦となって、命を生き長らえました。絶対に書き残しておきたいテーマですから、このシリーズはかなり長いものになっています。頭の中、胸の内に残っているもの総てをここに関連してはき出すつもりです。

2/23 明日2月24日〔火)、近くの眼科医院で、左目白内障の手術を受ける予定です。2〜3日でも眼帯をする羽目になったらこまりますから、今日の内に「大便」の方も片づけておきましょう。

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