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山のロザリオ
 

〜ロシア捕虜記第一話〜 

森の中で・1
 1945年の暮れ、ながいながい貨物列車の中に閉じこめられての旅(約1ヶ月)の末、私たちは、真っ白な雪で踏み固めら れたイェラブガのBラーゲリ(収容所)に入った。ウラル山脈を越えて、ヨーロッパにはいり、大河・ボルガ川の支流カマ川の沿岸にその町はあった。
 いく人かのドイツ人(ボルガ川下流、旧名スターリングラード・現ボルゴグラードでロシア軍と死闘を繰り広げた旧ドイツ軍の将校たち)もいたようだった。

薄暗 い地下の穴ぐらの中にしつらえられた住居の、二段式木製ベッドで、腹の皮と背中と がスレあいそうなひもじさ、仰向けに寝る余地がなく、どちらかの脇腹を下にして寝 なければならないような狭さ。
そして開放式大便所で、用便後の紙がなかったこと、 などが想い出される。

 明けて1946年の春さき、百名ほどの一隊は、数キロ離れたボリショイ・ボール (大きい森の意)の森林伐採に派遣された。収容所でつかう燃料の材木をうるためで ある。
 この一隊に、ただ一人の通訳として私も派遣された。(第一回目の通訳だったが 半年ばかりして、ある事情のため、私はこの森を追放されることになる)。

 さて、物語はこれから始まる。ボリショイ・ボールとは、読んで字のごとく、大きな森のことである。すばらしく広大な森、それも数十メートルの大木が林立する森の、ちょうど真ん中に我々の住む収容所があった。 この収容所に入って1〜2ヶ月たったころ、十数名の一隊が、数キロ離れた小さな集落の製材工場へ派遣された。カマ川のすぐそばにあった。仕事の手はずを整えるために私もこれ に同道した。

森の中で・2ボリショイ・ボールは、ちょうどイェラブガとカマ川の中ほどにあって、この収容所からイェラブガと反対の方向にゆるい勾配の道を下ると河岸に到達する。
この川岸を下流の方へ2キロメートルばかり下ると、そこが目的地の製材所である。もちろん、カンボイ(警備兵)つきである。
この集落のはるか対岸に、このあたりでは珍しく大きな工場が見える。製粉工場という。川幅は、こんな上流でも数千メートルもあって、どうかするとかすんで見えるほどである。
話に聴くと、この辺りがかの有名なステンカ・ラージン(1671年没。ドン・コサックの首長、義賊)の本拠地とか。
一通りの仕事の通訳が終わったころ、近くにいた幾人かのロシア人と雑談を交わしていたとき、上流からの河畔の道を一人の女兵(スカートをはいて、腰にピストルを下げた女の兵隊さんは、もうこのころでは、わたしたちには見慣れていた)が、何や大声で叫びながらこちらにやってくる。

森の中で・3
 「ペレウオーチック(通訳)、タベ、お前を迎えに来たよ」と言いながらやって るではないか。 一瞬、私はきょとんとする。「仕事の段取りがついただろうから、私を迎えに来 た」というのである。
 通訳は私ただ一人だけだから。
それではと、仕事の一隊を残して、私はその女兵と二人で歩き始めた。数百メートル行ったところに鉄条網で囲われた小さな収容所があって、その中か ら、 かなり日焼け顔をした数十人の男たちがこちらを向いて、何やらワメいている。口 笛 がなる。親指を立てているヤツがいる。 彼女にきくと、イタリア兵だという。捕虜のイタリア軍の兵士たちだった。

 「うめえことやってやがらあ!うまくやれよ!」といった口調である。 こちらもニタリとほくそえんでみせる。

森の中で・4
今まで、白一面の銀世界であったこの辺りは、春風が吹き始めて心地よく両頬をなでていく。 道ばたには色あざやかな赤や黄色の花をつけた小さい草花が咲き出している。
 たいして話すこともなく私たちは肩をならべて川岸の道を歩いていった。やがて、小 さな村落の中を通り抜けるころ、道は左手に曲がる。
 収容所があるバリショイ・ボールへの道である。私たちは人里離れた森の中へと入っていった。
 「いよいよ、森の中に入ったね」、ポツンとその女兵が言った。
 それまで、だいぶ会話がとぎれていた。それは、あながち私の会話能力の不足だけか らくる沈黙ではないと思った。
先ほどの彼女の言葉をなんども胸の内で反芻してみる。たいへん意味深い言葉と受け取る。また沈黙が続く・・・
 朝の7時を少しまわった森の中は、私たちの歩いている細長い一本の道があるだけで あった。 朝もやをすかして、わずかばかりの日の光がさしこんでくる。
 高い木々の間は、なめらかな芝生のような草が生えていて、きれいな平地になっている。人の子一人通る者はいない。灌木の群れに私の目がはしる、、、、原始林のよう なこの森の中で、私たちは今、原始人になりきろうとしている、、、

 「森の中で・その5」
 ふと、横を見る。赤ら顔のすこしソバカスがある女の顔を見る。年の頃24〜5歳と みえる。黙りこくって彼女は私を見返した、、、
 そのとき、私の脳裏を「ローソク病」が走った。入ソ以来しばしば聞いてきた病気で ある。(ひまなとき男たちは、こんな話をして時を過ごす)いわゆる、国際病であって、一物がローソクのように溶けてなくなる、と言い伝えられるものである。
 ローソク病、国際病、、、になったらたいへんだ、、、そう、私は考えた。

 収容所が近くなった。女兵士は少しずつ話し始めた。夫は同じ兵士で40すぎの「年より」だという。離れて暮らしているかどうかは聞き漏らした。
 突然、彼女は、私の脇腹の肉を上着の上からつまんだ。「タベ、元気がいいね」という。厚ければ、(皮下脂肪が多いので)元気がいいのだ、という。
 もっともなことだ。私も彼女の肉をつまんでみせる。「お前さんも元気だ」と言って やる。

 やがて、かなたの森の中に、我々の収容所が見えてきた。
ワロータ(門)を彼女は無造作に開ける。「ダワイ!(入った、入った!)」という。
 私が中に入ると外から大きな錠前がかけられた。ガチャリ、、、
 21歳の私の春はかくして過ぎ去った。(森の中で・終わり)

このオルゴールMIDI曲はさんのページからお借りしてます


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