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ともしび

農業指導員

〜ロシア捕虜記第2話〜


「農業指導員」その1

バリショイ・ボール(大きい森の意)を追放されると、今度はAラーゲリ(収容所) にほうりこまれた。ここではタンボフ(首都マスクヴァ南東約500km)から来た 同期生と一緒になった。
次の冬また、かなり離れたところにあるカクシャン収容所の第一回目の通訳として派 遣された。ここも、冬のさなかに追放された。
ボリショイ・ボールの時も、このカクシャンの時も、全く同様に収容所長とケンカし て追放されたのである。
「ティエビアー  パッサヂィユー  フ  チュリムー(お前を監獄にぶち込んでやる!)、という 言葉をなんども私は聞かされた。 とかく通訳とは、ソヴィエト側と、同胞との板挟みになって、結局はこんなことにな る。たいへんつらいものだった。
マレー半島で、「イエスか、ノーか!」と、我が軍司令官が、イギリスの司令官にタ ンカを切ったちょうど裏返しの事態だからである。
二年目の夏がやってきた。1947年夏のことである。Aラーゲリの裏側は一段低 なっていて、かなりまとまった農園があった。 遙か彼方をヴォルガ川が流れている。第一話でも、ここでも、私はこの大河をヴォル ガ川と呼んだが、実は、この大河はカマ川といって、ヴォルガ川の支流である。


「農業指導員・その2」


夏の暑い日ざしを浴びて、数十人の旧日本軍将校たちは、沖積されたと思われる、かなり肥えた土地の農園で畝をつくっていた。

そこに、一人の男(ロシア人)と、もう一人の女のアグラノーム(農業指導員)がいて指図していた。若い男の方が私に尋ねたものだ。
「お前の国では、こういう畝の広さはどうやって測るか?」、、、どうやら計算が苦手の様子。
「そりゃあ簡単だよ、タテかけるヨコさ」と私。
「そうか、、、」男は一人でうなずいている。

仕事が山を越した頃、女の方が私に話しかけてきた。
「バザールへ買い物に行くが、ついてこないか」という。面白そうだから、「ダー、ハラショー」(うん、いいよ)と答える。
イェラブガは、この地方の中心地で、かなり大きな町だった。町の中心地には人家が密集しており、バザールもそれなりの広さがあって、ロシア人たちがおおぜい集まっている。

「第二話農業指導員。その3」

じゃがいも、たまねぎ、にんじんなど、いろいろな作物や、ちょっとした日用品が並べられている。ロシア語の本や、学校用の英語教科書など、私に欲しい本がある。
マホルカ(刻みたばこ)などもならんでいるが、なにさま、わずかばかりの月給しかもらわなかったから、手元不如意である。手が出ない。(なんルーブルの月給をもらっていたか、全く覚えていません。いずれにしろ、思い出せないほどの、ほんの申し訳的なものだったのでしょう)

女の方は、バケツにいっぱいのじゃがいもや、なにやら買い求めて、それを私に持たせ、さあ帰ろうか、という。バケツを持って私は彼女の後ろについて歩いた。

ラーゲリ(収容所)のすぐ近くに彼女のアパートがあった。二階建ての一階にある、とある扉を鍵で開けると、細長い部屋があった。手前にベッドが一つあって、奥の方にこざこざの家具類がおかれている。

「あ座り」といって、私に椅子をすすめる。古めかしい木製の椅子だった。彼女は、「暑い、暑い」といいながら、上着を脱いでひと風いれる。
奥の方から何やら、ひと瓶を取り出してきて、顔や腕にすりこんでいる。いくらかさわやかな匂いが私の鼻をくすぐる。オーデコロンのたぐいらしい。

「暑いだろう?」と言いながら、こんどは私の顔にも数滴すりこんでくれる。すこしおかしい、、、入り口のドアーは閉められたまま、、、窓には白いカーテンがひかれている、、、
ベッドが私たちのすぐそばにあった、、、、

「農業指導員・その4」


しばし無言、、、
彼女はふと立ちあがった。奥の方から一冊の古ぼけたアルバムをとり出してきた。だいぶ前のものらしく、茶色がかっている。
年若い男女が並んで写っている。横に座っている男が彼女の夫だという。独ソ戦で戦死した、それで、それからは一人で生活している、と言っていた。子供のことは尋ねなかった。
戦争は多くの寡婦をうんだ、、、それにしても、この異常なフンイキはどうだろう、、、私はドギマギした、、、ややしばらくして、彼女は急に、「それじゃあ、農園に戻ろうか」と言った。

二人はそそくさとその部屋を出た。彼女はいくぶん足音もあらあらしく歩いて行った。
農園につくと、ほとんどの作業は終わりかけていた。私は、彼女とその一隅に腰を下ろした。
「タベ、お前は若すぎるよ」と彼女は言う。
どうやら、もう少し年をとっていれば、あんなことはなかったのに、と彼女は言いたいらしい。私も今、この文を書きながら、そのとき彼女の言った言葉を理解することができる。

「あなたは、私の母と同じぐらいの年ですよ」、精一杯のヒニクをこめて私はそう言い返した。その時、彼女は、どう言い、どんな表情をしたか、私はもう覚えていない。

たしか、彼女は40過ぎの女性であった。タタール系らしいずんぐりしたおばさんで、顔のところどころに脂肪が盛り上がっていて、いかにもエネルギッシュな感じであった。

かくして、私の21歳の夏は過ぎた。遙かに見はるかすカマ川の流れは、かげろうの彼方にゆらめいていた。

第2次世界大戦の犠牲者は、中国人で1300万人以上に上りました。(一橋出版・世界史A1995年・高等学校地理歴史科用より)旧ソ連の犠牲者は、たしか2000万人に近かったと、記憶しています。出典が確認できたらお知らせします。
我が国の犠牲者は,たしか軍人、市民をあわせて350万人と記憶しています。私の「思いでの記」第一話・森の中で、第二話・農業指導員のこと、第三話・タタール娘のこと、すべてに戦争犠牲者、特に男の戦死で、「男ひでり」が続いたことと密接な因果関係があります。「ひでり」を岩波国語辞典・第六版でひくと、「必要なものが非常に少なくなること」とあります。


このオルゴールMIDI曲はさんのページからお借りしてます




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