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トッテモ・オモシロイお話・1

前にお話ししましたように、私の体験記は、すべて事実の通り、作り上げた所は全くありません。
テーマを決めて、物語を作り上げるような「作家・小説作家」のような才能は私にはまったくありません。
総てが滞露(ソ)中の事実・ありのままであることを申し上げます。

この愉快なシリーズを早く皆様にお届けしようと思っていましたが、例の帯状疱疹はいまだ全治せず、痛みと痒みが右上半身にあって、それを紛らすため「梅焼酎」などをちょくちょくあおり、苦しみを忘れようといたします。
雅子さまのお苦しみが、身にしみてわかります。
それに、過去1年間は、私が居住するアパート(計2棟)の管理組合・副組合長(無報酬)の「重責」を拝命、1ヶ月前やっとその重荷から解放された、ということもありました。



さて、ロシア側としょっちゅう言い争うフラチな通訳・私は、このままでは、「ダモイ」(帰国、復員)出来るかどうか判らない、通訳を辞めた方が良かろう、と私は一人で判断し、きっぱりと止めた次第を前回お届けしました。

私の判断が正しかったことが判りました。最近思い直して、ロシアに抑留された人々の昔の文集・記録などを読み直して見ますと、それが証明されます。
私のように「反ソ」的な言辞をろうするものは、5〜6年から、又はそれ以上の刑罰を受け、帰国・ダモイがそれだけ遅れた事実が明記されています。「ほんとに、危なかった」というのが私の感想です。(2004年5月31日)

トッテモオモロイお話・2

くどくどと導入部ばかりをお話しても、えげつなくなりますから、いきなり本題に入ります。そのうち、ちょくちょくはさんでいきましょう。

通訳を辞めて、いっかいの労働者になると、いつか労働の順番が回って来ます。労働者はロシア語で「ラボーチイ-」・рабочийといいます。労働は、少し日本語になっている「ラボータ」・работаです。ロシア語のрは、ローマ字のrで
す。

国際法・「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」によれば、その第49条において、「将校又はこれにそうとうする地位の者に対しては、いかなる場合にも、労働を強制してはならない」旨の規定がある。

だから、私どもに対しては、「炭坑や鉄道建設、道路建設等」の強制労働は課されなかった。
ロシア側は、一応この規定を守った、ということだが、いわゆる「自活の為」の作業は、順番に我々に回ってきた。

燃料の為の「原木伐採、運搬」、集団農場での作業、収容所内の清掃、浴場当番、洗濯所当番、便所当番、便運搬等々であった。で、ついに私にも原木運搬の労働が回って来ました。6月3日

トッテモ・オモシロイお話・3

あれは、たしか昭和22年・1947年の12月か、翌昭和23年1948年の1月か、いずれにしろ真冬まっさかりの頃だった。当時、零下30度か、あるいは零下35度より寒ければ、屋外作業は中止だったから、その日は多分零下20度ぐらいだっただろう。

道路は人やトラックで踏み固められ、つるつるに凍っていた。日本で経験されるようなぬかるんでどろどろしたり、べとべとしたりするようなナマッチョロイ雪道とは全く異なる。

通常は朝7時か7時半頃朝食をとるが、この日は6時過ぎ頃早い朝食をとった。空の橇・そりに太い綱が付けられ、片方に5人、都合10人で引っ張るように10の引き綱がつけられた。それぞれが頑丈な輪になっていて肩に当たる所は皮が巻かれていた。

行きは空荷だから、何事もないようにスイスイと滑る。一人だけは太いこん棒を持っていて橇が凍り道を外れそうになると、すぐこん棒を橇の下に差し込んで軌道を修正する。

「行きはよいよい」だ。凍り付いた雪道を橇は軽く軽く滑る。収容所本部のあるエラブガより目的地ボリショイ・ボール(大きい森の意)まで15〜16kmを4時間ぐらいかかって目的地に着いた。正午ごろだった。途中、勿論休み無しだ。休めば汗をかいている身体はすぐ冷える。零下20℃とはそのようなもの。

森林伐採隊の宿舎(といってもそれらは半地下式のバラックだが)近くにある伐採地に到着、腰を下ろし一息ついて一服すれば、直ちに周りに伐採された原木を我々の橇に積み込む。
原木の太さは周りが一抱えもある大木、直径が50〜60cmもある針葉樹。私は素人ながらこんなまっすぐで立派な木を切り刻んで収容所の燃料にするのは、「何ともったいない」ことだ、と思った。

ほかに燃料になるようなものがなければ、そんなことにかまっていられない、零下45℃では通用しない。

それに、素人の私が見ても、この林は「原始林」に違いなかった。
後に汽船に乗ってこのあたりを通った時、このような原始林はボルガ河の支流カマ河に沿って何十kmも何百kmも続いているのを見た時確信いたしました。詳しくは別稿「タタール娘の想い」を御覧下さい。

一つの橇に上記の原木を5〜6本積み込むと総重量は何トンになるだろう。
橇も橇で、直径15〜20cmもある丸太をそのまま切って組み合わせてつくられた橇が使われた。

小一時間もかけて、橇に原木を積み込むと出発、伐採隊の隊員はちょうど昼メシ時だろうか、誰一人顔を見せない。まさか、1年前の通訳がラボーチーになって橇を引っ張っている、とは誰も知るまい。6月17日

トッテモオモロイお話・4

10人が力を合わせて引っ張ると、「うん、うん」と連続で力一杯引っ張るほどのものではない、橇が動き始める時は、もう橇の下が凍り付いていて、てこ使いがちょっとこねてくれればスーッと動き始める、道路はコチコチに凍っていて表面はツルツルに凍っているから。

小一時間ほどひっぱっていると小さな村落にさしかかった。
道の両側に近くの老若男女のロシア人が集まってきた。
一番若い私は汗をかき始めたので、諸肌を脱いだ。気温零下20℃ぐらいだったろうか。
「どうだ、日本男児の心意気はどうだッ!」という思いが私にあった。
前後の同僚たちも同じ思いが湧いてきたのか、「ホイサッツ、ホイサッツ」のかけ声にも一段と力が入った。
ところが、周りのロシア人たちが手をたたいて喜び始めた。我々に対する応援をしているのは、よく判る。
でも、どこかオカシイ。若い男たちが手をたたいて喜んでいる。横に並んでいる女たちがニタニタ笑っている。
これは尋常の喜び方ではない。男たちが、とうとう両足を踏みならしながら喜び始めた。
「ホイッサッ、ホイサッツ」我々も一層声を張り上げ橇を引っ張る、するとさらに男たちが舞上がって喜んでいる。女たちもさらに大口を開けて笑いこけている。
これはもう尋常な事態ではない。
ふと私に思い当たることがあった。

それはなんでしょうか?なぜでしょうか?
名古屋のれんぞうさん、岐阜の加とちゃんおわかりですか?
「何があったのでしょうか?、なぜそれほどまでに喜んだのでしょうか?」ヒント・ことば デス。6月17日


続編・5をお送りします。

おもしろいお話を始める前に、皆様のご理解をお助けするために、まず露和辞典の1ページをお知らせすることといたします。誤解を避けるために、その辞典を「そのまま」次にご紹介いたします。

「研究社露和辞典・初版1988年9月、編者・東郷正延ほか、発行所株式会社・研究社、定価7800円」同上の2575ページに、「хуй 【卑】男性性器」とあります。7月10日

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