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毎度、「ロシア民謡を歌う会」にお誘いをいただき有り難うございます。 このところ少しばかり体調をくずしていて、元気がありませんが、調子が出たらまたおうかがいしようと思っています。 「ロシア民謡」のことについて、少しばかり私見を申し述べたいと考えています。7月12日、「いなかや竹」でいただいた歌謡集の中から、「カチュ−シャ」、「ともしび」、「バルカンの星の下に」について一言。
平凡社「世界大百科事典」4巻552ペ−ジに「カチュ−シャのうた」の項目があり、次の通りの記述が載っています。 「カチュ−シャの歌、島村抱月と相馬御風の作詞、中山晋平の作曲にかかる歌謡小曲。1914年(大正3)3月東京の帝国劇場で<芸術座>(島村抱月主宰)が公演したトルストイ原作の劇<復活>の第一幕と第四幕とで松井須磨子(女主人公カチュ−シャの役)などが歌った劇中歌で、<カチュ−シャかわいや、別れのつらさ、せめて淡雪(あわゆき)とけぬ間と、神に願いをかけましょか>という新しい感傷を盛る歌詞と、洋風ながら日本的な曲調とで青年・学生層に歓迎され、空前のヒット・ソングとなって、レコ−ドや演歌によって広く普及され、大正中期数年間全国で歌われた。ちなみに<カチュ−シャ>という題名のソヴェトの新民謡がある。1942年ソヴェトの作曲家ブランテルの作曲で、カチュ−シャという娘が前線の愛人を思う歌詞だが、第二次世界大戦にソヴェト軍がドイツ軍を悩ましたカチュ−シャ砲(車載高速迫撃砲)の人気に乗って流行した。(堀内敬三)」 堀内氏が指摘しているように、ロシアの歌「カチュ−シャ」は、「車載ロケット迫撃砲(岩波ロシア語辞典)」・愛称カチュ−シャという強大な兵器を、トルストイの美女カチュ−シャという優しいオブラ−トで包んだソ連の軍国歌謡です。 私は、戦後昭和20、21、22、23年の丸三年間、ヨ−ロッパ・ロシアのヴォルガ川近くの収容所にいましたが、ロシア人たちがさかんにこの歌を歌うのを聴いていました。23年の8月、舞鶴に復員しましたが、日本でも、もう盛んに歌われていました。
この一番の歌詞からだけでもお分かりのように、切り立った崖の上に出てきたのは、たおやかな乙女ではなくて、恐いカチュ−シャです。「切り立った」という厳しい言葉と美しい娘さんとは、どうしても結びつかないからです。文脈上、「切り立った崖」が「恐ろしいカチュ−シャ」が出てくる伏線になっています。まったく上手に作るものです、一流の作詞家は。
一句と二句目は、ごらんのようにほぼ正確に訳しているのに、三句と四句目が飛躍しています。「カチュ−シャ」という言葉が出てきたとき、おそらく訳者はとまどったことだろうと私は思っています。その時、私はこの日本にいませんでしたが、おそらくこの元歌は昭和20年の暮れか、遅くとも21年の夏ごろまでには入ってきたと思います。訳者は、トルストイのカチュ−シャはよく知っていても、まさかカチュ−シャが連発ロケット砲の愛称であるとは、夢にも考えなかったのだろうと、私は今想像しています(無理もないところですが)。だからこの訳詞は二番、三番と行くにつれ、わけがわからなくなって、ひどく脱線したものになり、ついには四番にいたっては、訳を放棄し一番の訳「りんごの・・・・しのびよりぬ」をそのまま流用しています。元歌はもちろん一番とは全く違った歌詞です。 悪態をつくのは、このくらいにして、先へ進みます。ソ連の人々が、無法にも祖国を我がもの顔にじゅうりんしたドイツのファシストたちを死闘の末、撃退したわけですが、私の記憶が正しければ、たしか一千万人の犠牲を出しました。わが国は300万人、中国はたしか二千万人の犠牲者を出しました。 で、勝利の喜びはいかばかりだったでしょうか。そして、その勝利の一翼をになった「カチュ−シャ」への思いはいかばかりだったことでしょうか。そうして、この歌が彼らの勝ちどきの歌となりました。 彼らの怨敵、ドイツ・ファシストが昭和20年(1945年)5月7日に無条件降伏しました。「カチュ−シャ」の歌はベルリンをはじめ、東ドイツの全土で歌われたことでしょう。ことに東ドイツの人々は、ソ連の衛星国になりましたから、「解放者」といっしょになって、この歌を歌ったことでしょう。 だが、西ドイツの人々は、どうだったでしょうか? この歌をよく歌ったでしょうか?その時からずっと今まで、私はドイツにいたことも、行ったこともありませんから、かいもく分かりません。 でも、私は、ソ連の収容所でドイツ軍将校の捕虜数十人といしょに一年ちかく暮らしたことがあります。この世界中で、中国人とドイツ人ほど、プライドの高い人はいないと、いつか聞いたことがありますが、まさしく、ドイツ人がそれでした。言葉のはしはし、行動の一つ一つにそれが現れていました。ですから、今私がここで思うのに、少なくとも、当時西ドイツの人々は、自分達をまかした国の軍国歌謡は歌わなかったのではないだろうかと。そして今でも。 日本が侵略した中国、真珠湾に奇襲攻撃をかけられた米国などにも、きっと反日、抗日の歌があったことでしょう。今、私たちはそれらの国々のどの歌を歌っているでしょうか? ロシアにいたとき、かく申す私も何じっぺん、何びゃっぺんこの歌を歌ったことでしょうか。ロシア語を勉強するため?いろいろな言い訳があります。戦後は遠くになりました。ドイツの東西を分けていたコンクリ−トの壁が壊されました。そして、昔のソ連を統括していたソ連共産党は第一党の座を明け渡しています。戦後、帰国してからも、私は、何じっぺん、何びゃっぺん「カチュ−シャ」などを、ロシア語で歌ったことでしょうか。今、私には以上申し述べた思いと反省があります。 ひと言でいいますと、戦勝国の勝利の歌を、敗戦国の人々が歌うことになっています。もっとも、わが国では、この歌を日本語でうたうとき、人々は、翻訳者のせいで、「カチュ−シャ」をトルストイや抱月・御風や晋平の「カチュ−シャ」と思いこんで歌っていると思われますが。 2番の歌詞を訳してみましょう。1番と違ってかなり難しい句が連なっています。私の1番の解読率はほぼ100%ですが、2番のそれは80%とみてください。いま手持ちの楽譜や歌集などをちょっと調べてみますが、この「カチュ−シャ」の訳詞は見あたりません。たいへんな「めい訳」に圧倒され、恐れをなして、あえて翻訳しょうとするかたがいないのでしょうか。それでもなお私の解読率は「中央合唱団」の
より数等、元の歌詞に近い自信があります。昭和23年の8月から今までの48年間、ロシア語からかなりとおざかっていましたが。
「カチュ−シャ」が「歌い始めた」とは、「一斉射撃」を始めたと、私は解釈します。 さて3番に進みます。「中央合唱団」の訳は
私の直訳は(ほぼ100%の解読率とご理解ください)
最後に4番に入ります。この訳詞で一番問題のところです。訳詞を放棄しているところです。 「中央合唱団」の訳は1番を繰り返しただけ。
デス。 私の直訳は、解読率95%と申し上げましょう。
次に、「ともしび」について一言。ロシア語で「アガニョ−ク」といいます。手もとの資料を探してみても、2番以下の原詩が見あたりません。「楽団カチュ−シャ」の1番の訳詞はなかなか良くできていると思います。ほぼ元の歌詞の流れに沿って上手に訳されています。それに、ム−ドもあって、訳出は私どもの及ばないところです。 窓辺にまたたくともしびに つきせぬ乙女のあいのかげ 前線に出てゆく「兵士」を愛人の「おとめ」が「ともしび」のゆらめく窓辺で見送る構図です。ロマンチックないいうたです。次男が十数年まえ嫁さんをもらったとき、その結婚式で私はこの歌をロシア語で歌いました。1番の歌詞を2回うたいましたが、列席の両家の人で原語のわかる人はいないはずですから、安心して大声で歌いました。この歌の一方のテ−マである「愛」に想いをこめて。 でも、この歌のもう一方のテ−マは「戦い」です。にっくきドイツ兵との戦いに向かう「兵士・勇士」の歌です。当時のこの国の軍国歌謡にほかなりません。 当時のわが国にも勿論軍国歌謡があったわけですが、戦意高揚の激しいわが国のものにくらべて、この国のものは、きびしい言葉をロマンチックな「おとめ」とか、「愛」とかでそっと包みこんで、じつに見事な訴え掛けをしているとおもいます。前出の「カチュ−シャ」の歌もそうでした。
最後に、「バルカンの星の下に」について一言。この歌も前の「カチュ−シャ」、「ともしび」とともにロシアでよく聴いたものです。3曲のうち、「バルカンの」が曲調で最も軍歌に近く、よく兵隊が隊伍をくんで行進中に歌っているのを見かけました。軍歌といえば、ロシアの兵隊は高音部と低音部に分かれ、コ−ラスで歌います。その上、輪唱します。これがまたすばらしく荘重に聴こえるものです。 「楽団カチュ−シャ」の訳詞はいい気分で流れています。上手に翻訳されていますが、直訳してみますと原詩の真意がよくわかるとおもいます(私は外国語を勉強するときは常に直訳派です) 1番:くろきひとみいずこ わがふるさといずこ ここはとおきブルガリア ドナウのかなた 私の直訳は きみはどこ、どこなの、きみはどこ、褐色のひとみよ おまえはどこ、私のふるさとよ かなたにブルガリアの国、しりえにはドナウ川 2番:はるばるこえし山川 幾千里 夢にも忘れざりき 恋しふるさと 私の直訳は はるか遠く進軍してきた 野こえ川こえて だがわれらソヴィエトのふるさとは 忘れることはなかった どこに行こうとも 3番:かがやくバルカンの 星の下にて 幼き日の思い出 まぶたにえがく 私の直訳は そしてバルカンの星の下で 思い出すよわけあって ヤロスラヴリやリャザンの それからスモレンスクのあちこちを 4番:黒きひとみよ しずけきかたらいよ
なにものにもまして 恋しふるさと 私の直訳は 思い出すよ褐色のひとみを しずかな話し声を、高らかな笑い声を 美しい国ブルガリアよ でもロシアこそが最高! 以上で3曲への思い出の記をおわります。なにかお気づきの点がありましたらぜひお聞かせください。
1996年10月31日 田部春雄 |
このオルゴールMIDI曲はtoyoakiMIDIBOXのページからお借りしてます
カウンター作成2002年10月29日